3月8日、鳥山明さんが亡くなられたとのニュースが流れました。
面識も無いお方の訃報で、これほど衝撃を受けたことは自分の人生で初めてです。
昨年も多くの著名人の訃報を目にしましたが、
「あぁ、まぁ結構な年齢だったしなぁ…」
とか
「え、まだ結構若いでしょ、残念だね」
ぐらいの感想で、失礼ですが訃報の翌日、長くても翌々日には興味を無くしているぐらいでした。
しかし、鳥山明先生の訃報については10日ほど経った今でもまるで受け止めきれてないというか、頭の中だか胸の中だかがモヤモヤしたした状態です。
そんな状態になっている自分に驚いてもいます。
数年前に実の祖父が亡くなったときすら、
「人間いつか死ぬんだから仕方ないか」
ぐらいの気持ちしか湧きませんでしたから。
しかし、思い返せばそれも当然かもしれません。
なにせ僕の人生は鳥山作品と共にあったと言っても過言ではありませんから。
初めて手にした漫画は父親が集めていたドラゴンボールでした。
ページが本の背から外れるぐらいボロボロになるまで読み返しました。
どのシーンが何巻に描かれているかも暗記しているし、セリフもほぼ頭に入っています。
あまりに覚えすぎていて、今でも奥さんに気持ち悪がられるぐらいです。
今では仕事柄、自分の生徒に
「単語帳や参考書は何週も読めよ。ボロボロになるまで教材を使い込めよ」
などと偉そうに言っていますが、自分が一番読み込んだ書物は間違いなくドラゴンボールです。
軽く100周以上、いや200周以上は読んだのではないでしょうか。
何度も読めば自然と頭に入る、ということを体感させてくれたのはこの漫画です。
僕が勉強をするに当たって何度も同じ教材を読み込む反復学習が出来るのは、ドラゴンボールのおかげだと言っても過言ではありません。
小学生のときに格闘技を習い始めたのもドラゴンボールの影響でした。
悟空のようになりたかったんですね。
勝負事の前には「界王拳!」と心の中で叫んで気合を入れてました。なんなら本当に口からセリフが漏れてたときもあったかもしれません。
スーパーサイヤ人になるために、穏やかな心持ちながら激しく怒る練習もしました。
ビーデルさんが悟飯君に舞空術を習ってるシーンを何度も読んで、気を全身に巡らせる練習もしました。
そして何といってもかめはめ波。
これに関しては未だに修行すれば出せると信じています。
その思いからアラフォーになった今でもまだ空手・筋トレと修行に励む日々です。
結果今や空手は大学の監督にまでなってしまいました。
それもこれもドラゴンボールのおかげです。
そしてかめはめ波が出せるまで、僕は修行をやめるつもりはありません。
修行と言えば、僕が大好きな巻のうちの一つが単行本三巻です。
クリリンと初めて出会って、亀仙人のじっちゃんの下で修業をするところですね。
重い亀の甲羅を背負って牛乳配達をするシーン。
あれにすごく憧れました。
甲羅を降ろしたら信じられないぐらいジャンプが出来るようになってるなんて、夢があるじゃないですか。
なんだか真似出来そうですし。
その影響で、学生時代はいつも手足に重りを巻いてジョギングをしてました。
この巻で亀仙人が
「よく動き、よく学び、よく遊び、よく食べてよく休む。これが亀仙流の修行じゃ」
とお昼寝をしながら悟空とクリリンに指導するのですが、この教えは僕の支えにもなっています。
僕は反抗的な子供だったので、学生時代に教師の言われたことなんてろくに聞いたこともありませんが、亀仙人のじっちゃんの教えだけは忠実に守ってきました。
「武道は勝つためにはげむのではない。おのれに負けぬためじゃ」
「武道を学ぶことによって心身ともに健康となり それによって生まれた余裕で 人生をおもしろおかしくはりきって過ごしてしまおうというものじゃ!」
「世の中 上には上がいるもんじゃ!」
これら全てじっちゃんの教えですが、言葉は少し変えつつ、しかしほぼ同じ内容を今僕は自分の教え子たちに指導しています。
勉強や空手を指導する形を取りながら、実は亀仙流を普及しているということですね。
中学生のときに嫌々でも塾に通っていられたのは、帰ったらドラゴンボールGTを見られるという楽しみが心の支えになってたからでした。
宿題や提出物なんて忘れまくりでしたが、毎週水曜日のドラゴンボールの録画だけは欠かしたことがありません。
野球放送でドラゴンボールが潰れた週の絶望感といったら、とても言葉で形容できるものではありません。僕がいまだにイマイチ野球が好きになれない理由に、この頃のトラウマがあるのは間違いないでしょう。
初めてクリアしたRPGはドラクエ5でした。
このゲームの目玉と言えば、ビアンカとフローラの結婚イベント。
直前でセーブして、本当に一日悩みました。(正直リアルの自分の結婚よりも悩みました)
「愛か金か」という人類の永遠の課題とも言える問いを小学生にぶつけてくるなんて酷なものです。
しかし一周目は当然ビアンカでファイナルアンサーでした。
幼馴染の美人を放っておくなんて決断、易々と出来ることではないです。
これもビアンカがもっと可愛くないデザインなら大して悩まなかったと思います。
鳥山先生の女キャラはみな可愛いんですよね。
この2キャラもそうですし、人造人間18号なんて当時の男の子はみな心を奪われたことでしょう。
今でこそよくある設定ですが、この18号こそツンデレキャラの先駆けではないでしょうか。
こう思い返せば、自分の女性の好みすら鳥山作品の影響を大いに受けてるのかもしれません。
いいおっさんになってからもドラゴンボールスーパーや劇場版などの新作を見るたびに心が沸き立ちました。
年齢が上がって作品を読み返す度に、感動するシーンが変わっていくことに自分の成長を感じることもありました。
子どもの目線では鬱陶しいギャグキャラでしかなかったミスターサタンも、大人になってから見るとなんて人間らしくカッコいいおっさんなんだと思うようになりました。
家庭を持って変わってしまったというベジータのセリフも、今は深く理解出来ます。
更に年をとったり自分に孫が出来たりしたら、また違った角度からこの作品を楽しめるのでしょう。
物心ついたときから今の今まで鳥山作品に育てられ支えられてきたことを、改めて痛感します。
もうなんか色々語りたいことがあり過ぎるですが、ただひたすらに湧いてくるのは感謝の感情です。
息子が文字を読めるようになったら、最初に読ませる漫画はドラゴンボールだと決めています。
今も息子は自覚もないうちからドラゴンボールに染まっていっています。
この世でお会いすることは叶いませんでしたが、自分があの世に行ったときにはぜひ先生にご挨拶に伺いたいと思っています。
とりあえずまずは天国に行けるように、鳥山作品から教わったことを胸に今の人生を全力で生きていきます。
素晴らしい作品を本当にありがとうございました。
先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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